レコードからCDへ
高校に入ると、カートリッジによってレコードの音が変わるのがおもしろくて、カートリッジの収集を始めた。
初めてアンプを設計したのもこの頃で、一番最初は2SK30を使ったシングルMCヘッドアンプだった。
手作りしたアンプで音楽が聴けるのはとても楽しいことで、このあたりからアンプの道に入っていった。
この頃になるとCDプレーヤーが10万円を切るくらいの値段になってきていて、高校2年の時に友達がアルバイトをしてCDプレーヤーを買った。ただ、CDプレーヤーを買ったらすっからかんで、CDを買う金がないというオチがついていた。
大学に入ると、CDプレーヤーの値段もかなりこなれてきた。ぼくもアルバイトしたお金で初めてYAMAHAのCDプレーヤーを買った。大学の生協で3~4万円くらいだったと思う。
このころから金田式アンプの本などを参考にあれこれ試行錯誤し、最終的に金田式ベースのプリアンプとパワーアンプを作って、それから卒業後も含めて10年以上このセットを使って音楽を聴くことになった。
実家で父に借りて使っていたスピーカーは、テクニクスの12センチフルレンジ+ツイータ+パッシブラジエータの2WAYだったが、どうもツイータの鳴りが不自然な気がして、結局ネットワークを外してツイータは使わずにフルレンジ直結で使っていた。
大学を卒業して就職したときには、初めて実家を出て会社の寮でひとり暮らしを始めたが、実家ではスピーカーを父から借りて使っていたため、引っ越したときに新しいスピーカーを買いにいった。このとき買ったのが、今も使っているビクターのSX-100だった。12.5センチアルミコーンフルレンジ+バスレフだ。
このときは、実は見た目のかっこいいホワイトコーンのNS-10Mを買うつもりで秋葉原に行ったのだが、試聴させてもらったらまったくピンとこず、結局予算内で、聴いた中でいちばん印象がよかったSX-100にしたのだった。実家で聴いていたフルレンジに耳が慣れていたせいか、マルチウェイはどうもツイータが耳障りな感じがして違和感があったのだ。
就職して最初に配属されたのはMO(光磁気ディスク)ドライブの開発部隊だった。本当はオーディオ部門に入りたかったのだが叶わなかったのだ。MOドライブというのは非常に多くの種類の技術を必要とする分野で、入社当時は大学の専門に合わせて機構設計のチームに配属されたが、どうもあまりおもしろくなかったので、無理を言って回路設計に配置換えをしてもらった。
このとき、アクチュエータドライブICの回路を見る機会があったのだが、この回路はBTL電流駆動という、オーディオでは見ることのないおもしろい駆動方式だった。BTL電流駆動のICは日立のHA13490というデバイスだった。
「スピーカーを電流駆動するとどんな音がするんだろう?」
ふとそんなことを思ったが、当時仕事は充実していて、ジャズピアノを習いに行ったり、ジャズダンスを習いに行ったり忙しく、寮の部屋も狭かったため、部屋ではんだごてに火を入れて実験するようなことはなかった。
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